■交通
古くは道路建設において高い技術を持っていたローマ人に支配されていたこと、また山地が少ないので道路は比較的よく発達していた。そして18世紀にスコットランド人の土木技師トマス・テルフォードとジョン・マカダムによって、安くて長持ちする道路舗装法が考案された。
幹線道路の状態が良くなったことで、馬車は速度を増し、安定性も向上した。
さて、ホームズ物語には二輪馬車がよく登場する。
1頭引き4輪馬車「ブルーム」は御者台が前にあり、1頭引き2輪馬車「ハンソム」は二人乗りで客席後ろの一段高い所に御者台がある。これらは当時cabといわれ、現代のタクシーをキャブと言うのはここからきている。
ホームズはハンソムをよく利用していた。簡便な造りのハンソムは完全な密閉型ではないので、風雨や泥のはねが客についてしまうこともしばしばあったという。
馬車を走らせるのに御者が利き手で振るう鞭は、歩行者にとって危険な物だった。しだいに御者は鞭の振るわれる反対側、つまり道路の左側に寄って馬車を走らせるようになった。これが現代において英国が「車道は左側通行」とする基となった・・ともいわれている。
大型乗合馬車はオムニバスと呼ばれ、それが短縮されて「バス」と言われるようになった。かつての駅馬車(コーチ)と同じように屋根の上にも席が設けられていた。
なお、現代では長距離バスを「コーチ」と呼ぶ。
蒸気による動力だけを使って人と物を馬車や船よりも早く運ぶ、という目的においての「鉄道」が1830年にリヴァプール-マンチェスター間で開通した。
当初の運賃は高額だったものの、鉄道会社はまずまずの成績をおさめた。これにより全国で鉄道建設が進められたが、利益をめぐって鉄道会社の合併などが相次いだ。
左右両側にドアがあり前後に向かい合った2人または3人がけの席から成る、車室(コンパートメント)が幾つも連なって客車を形成。車室間は壁で仕切られているので互いの行き来は出来ない構造。
19世紀末に、片側に廊下があってそこから車室に入るスタイルのものが寝台列車や長距離急行などの高級列車に用いられた。
ホームズは地下鉄をあまり利用しなかったようだが、1863年にロンドンで「掘って蓋をする」方法で地下の浅い所を通る地表線(サーフェス・ライン)が走った。煙と煤はところどころ蓋をしていない場所から逃がすという方法だが完全にとはいかなかった。
のちに電気機関車が登場すると、縦穴で深く掘り下げて横に進むという工法が開発され、チューブ形地下鉄道が開通した。
現代において地下鉄はアンダー・グラウンド、またはチューブと呼ばれる。 |

■新聞
交通網の発達や印刷機の改良、教育法の制定などにより、ホームズの時代になると新聞読者層が広がった。
ホームズはあらゆる新聞に目を通していたが、全てを読むわけではなく、何か参考になりそうな記事だけを切り抜いてファイルにしており、依頼される事件によっては、この索引帳がおおいに活用された。ただ整理は気が向かないとやらないので、部屋には新聞や本が山と積まれているのである。
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■郵便
ホームズ自身はあまり手紙を書かない主義だったようだが(電報を活用)、依頼主から捜査の参考にと手紙を見せられる事はあった。消印などが手がかりになる事があるのだ。
英国は郵便切手発祥の地であり、1840年に全国一律料金の国営郵便制度が確立し、1883年には小包郵便制度も始まった。
街で目立つ赤い郵便ポストは19世紀後半(ホームズの時代)にやはり英国が発明した。 |

■電報と電話
ホームズの時代は急ぎであれば電報が用いられていた。電話は1876年にスコットランド出身のアメリカ人ベルが発明し、英国では1879年に最初の電話交換局がロンドンで活動を開始した。
しかし電話はまだまだ一般には普及しておらず、ホームズが下宿先の部屋で電話を使うのは1898年頃のことである。また、ホームズの部屋には電話帳もあった(1902年の事件『3人ガリデブ』より)。
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