■王室
【ヴィクトリア女王】:在位1837-1901
父:ジョージ3世4男、ケント公エドワード
(祖父ジョージ3世の長男はジョージ4世、次男はヨーク公、三男はウィリアム4世)
母:サクス・コバーク・ザールフィールド公4女、ライニンゲン大公エルネスト・カールの未亡人、ヴィクトリア・メアリ・ルイーズ
父エドワードは長年愛人との同棲を続けていたが、王位継承問題においてこの生活に終止符を打ち、ヴィクトリア・メアリ・ルイーズと正式に結婚。
1819年5月24日、アレクサンドリナ=ヴィクトリア誕生。
父エドワードは1820年に他界。次いでヨーク公、ジョージ4世が他界した。ウィリアム4世も世を去るが、伯父達はいずれも王位継承者を残していなかったため、18歳でヴィクトリアが王位に就くことになった。
母の兄エルネスト1世(サクス・コバーグ・ゴータ家)の次男でヴィクトリアのいとこのアルバートと二十歳で結婚。
家庭的で公的には女王の良き助言者であったアルバートは、王室や社会に貢献した。また、アルバート自らが指揮をとった「第一回万国博覧会」がハイド・パークで催されて大成功をおさめた。
しかし1861年、42歳の若さで急死。ヴィクトリアはその後10年余り喪に服しふさいでいたが、徐々にかつての積極的な女王に戻っていった。
ただ、繁栄・拡大を推し進めていたグレート・ブリテンはこの頃すでに、衰退の道を歩み始めていた。
女王逝去は1901年。長男がエドワード7世として1901年に即位。次いでエドワード7世の次男がジョージ5世として1910年に即位。
王家の名称は、ヴィクトリア女王までをハノーヴァー王家。エドワード7世はアルバートの長男であることから、アルバートの生家名であるサクス・コバーグ・ゴータ家に改称。
しかしジョージ5世治世下に第一次世界大戦勃発(1914年)。敵はドイツであり、ドイツ名が王家の名称では好ましくないとして、ウィンザー家と改称される。(1917年)
ホームズが壁に空けた穴は [ VR ] 。
Vはヴィクトリア、Rはラテン語で女王を意味する「REGINA」の頭文字。
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